敏感肌になったポコチンの先っちょを撫でまわされた話
先週、とあるM性感に行った。そこで新たな快感を発見したので書き残すことにしよう。
個人的に、M性感の醍醐味というのは、射精した後に敏感肌になったポコチンを、どのように女の子が扱ってくれるかというところである。もう最近はそこにしか楽しみがない。射精なんて完全に前戯である。こういう時の射精は、ジェットコースターに似ている。ジェットコースターの醍醐味は猛スピードで落下することだろう。そのためには、ゆっくりゆっくりと空高く昇らなければならない。昇ることにも軽い楽しみはあれど、やはり醍醐味は落下することだ。M性感での射精も同じである。敏感肌になってポコチンをいじられるために、射精をしなければならない。射精をすることにも軽い喜びはあれど、やはり敏感肌になったポコチンをいじられるのが醍醐味である。
M性感で、敏感肌になったポコチンをいじると聞けば、思いつくのは〝男の潮吹き〟というやつだろう。確かに絵的にも目立つし、今まで女のものだと思われていた潮吹きを自分もできるとなれば、わくわくもする。
先週私が体験したのは、敏感肌になったポコチンをさらに刺激しまくる男の潮吹きが〝剛〟だとすれば、〝柔〟の位置づけになるようなポコチンの弄られ方だった。魔法瓶で運ばれてきた暖かいローションを用いた手コキをされ、前戯の射精を終えた後、女の子が私の敏感になったばかりのポコチンの先っちょに、暖かいローションを塗り付けるように、ゆっくりと、ゆっくりと、撫で回した。これを〝先っちょ撫で回し〟と呼ぶことにしよう。その女の子がしてくれた〝先っちょ撫で回し〟は、生まれたばかりの、手の平に収まるくらいに小さい赤ちゃんハムスターを人差し指で撫でまわすような、それくらいに優しいものであった。そんな優しい刺激であっても、敏感肌になったポコチンが受け取る刺激は果てしない。くすぐったくて嫌だという人もいるようだが、Mな私にとってその快感は射精を軽く凌駕する。
射精後に敏感肌になったポコチンの気持ち良さというのは、射精の快感とはフェーズが異なっている。それまでの射精が徐々に高まっていく連続的な快感であったのに、敏感肌のポコチンというのはまるで人が変わってしまったかのように、いや、ポコチンが変わってしまったかのように、射精の快感とは不連続に開始される。グラフの通り、射精の快感よりも高い位置からその気持ち良さははじまる。物理的には同じポコチンであっても、まったく別のポコチンだと考えてもらって大丈夫だ。(一体誰の何が大丈夫になるのだろうか)
射精が上昇する快感だとすれば、〝先っちょ撫で回し〟の快感は下降する快感である。射精直後、最も高い快感から始まり、しばらく高い快感を維持したまま、時間が経過するにつれてゆっくりとゆっくりと鎮まってゆく。いつ終わるのだろうか。それは自分にもはっきりわからない。射精のように、目に見えるわかりやすさはない。ポコチンの敏感さが薄れ、呼吸が整い、身体全体が落ち着き、「あぁ自分はベッドの上に戻ってきたんだなぁ」と思えた時、なんとなく終わる。
また、一般的な射精と大きく異なる点があるとすれば、自分のコントロールが効かない時間がほとんどだということだ。射精に関して言えば、姿勢を変えてみたり、妄想を働かせてみたり、呼吸を整えてみたりで、かなりコントロールできる部分がある。それはオナニーの時だけでなく、他人とセックスをしている時もそうだ。射精する間際までは、ほとんどポコチンは自分のコントロール下にあると言ってよいだろう。しかし〝先っちょ撫で回し〟の場合、コントロールが効かない。どうすれば気持ちよくなるのか、どうすれば終わることができるのか、そのコントロールは自分(人間)を離れて、ポコチンが勝手に決めているとしか言いようがない。その時に自分ができることがあるとすれば、ただ祈り、ただ待つことくらいである。
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