射精の前戯性について
以前、射精後に敏感になったポコチンを弄られることの快感について書いた。その際に、吾輩は「射精なんて前戯である」と言い放った。これは軽い思いつきで言ったわけではない。敏感になったポコチンを弄られることが目的化した際の、射精の前戯さには凄まじいものがあるのだ。
一般的に〝前戯〟と言った時に、何のことを指すだろうか。乳首舐めでもフェラチオでもクンニでも69でも、〝前戯〟の内容は人それぞれだ。Wikipediaにも
前戯(ぜんぎ)とは、性行為の一部をなす行為である。性交に先立って、互いの興奮を高めるために行われる行為全般を指す。
といった様に、とても広い意味を持った言葉として説明されている。言ってしまえば、挿入前にすることは全て〝前戯〟なのだ。なんなんだこの広すぎる意味は。それに、この〝前戯〟と言われているものには決定的な弱点がある。乳首舐めでも、フェラチオでも、クンニでも、69でもなんでもいいが、〝前戯〟と言われているものは全て、挿入が終わった後の〝後戯〟においても出来てしまうものなのである。原理的に、前戯ではできるけど後戯ではできないものなど果たしてあるだろうか!?ない。ないよ。ないない。要するに〝前戯〟の前戯たる由縁は、その行為が挿入以前に行われた行為なのか、挿入以後に行われた行為なのかという時間的前後関係にしかなく、その行為自体に前後の性質は宿っていないのだ。
翻って、射精後に敏感になったポコチンを弄られることが目的になっている際の射精について考えてみよう。もうお分かりだと思うが、この時の射精こそが〝真の前戯〟なのである。私たちは、射精を経ずしてポコチンを敏感にすることなんてできない。ポコチンを敏感にするためには絶対に射精をしなければならないのだ!時間的前後関係ではなく、論理的前後関係。その論理的前後関係により、射精には〝前性〟が付与される。この性質こそが、敏感になったポコチンを弄られることが目的化した際の、射精の前戯性を支えているのである。