潮吹きのできる男は残業を減らせる~男の潮吹き仕事術~
官僚から肉体労働者に至るまで、日本人の多くの人間に共通した悩み。それは〝残業〟である。残業を減らす取り組みは、職種や職場によって様々なものが挙げられると思うが、どの職種においても真っ先に挙げられるのは「仕事の効率化」であるだろう。今より何倍も仕事を効率的にやることができれば、なるほど、自由な時間は増やせそうである。
例えば、デスクワークの分野に目を向けると、このような本がベストセラーとしてよく売れていたりする。
絶対残業しない人がやっている 超速Excel仕事術―――1日2時間かかっていた作業を5分で終わらせる時短のコツ
- 作者: 奥谷隆一
- 出版社/メーカー: あさ出版
- 発売日: 2016/10/07
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帯文にもあるように、Excelに詳しくなれば 今まで2時間かけていた仕事が5分で終わるなどのケースは、大量に挙げることができるだろう。そこに嘘はない。しかし、それで残業が減るのかと言えば、決してそうではない。ここには大きな落とし穴が存在している。
その落とし穴とは一体何なのか?それは、仕事の基礎中の基礎として語り伝えられている「ほう・れん・そう」の1番最初の項目、「報告」である。
これは多くの人が実際に経験したことがあることだと思うが、仕事を効率化し、以前より早く終わったとしても、仕事が終わったということをすぐに報告してしまうならば、次の仕事が舞い込んできてしまう。そのようなことを繰り返している内はいくら仕事を効率化したとしても、残業が減ることはない。
実際、素人童貞は最近とあるIT企業に入社し、私よりもはるかに学歴的にも能力的にも優秀なーしかし、素人童貞としては私の方が上だと思われるー後輩が入ってきたりしているのだけど、後輩と一緒に仕事をしていると、面白いと思うことがある。例えば私が後輩に仕事を振る。離れたところでパソコン作業をしているので、その後輩がどんな感じで仕事をやっているか、こちらからはわからない。「これ今週中にやっといて」って仕事を振ると、3日後くらいに「先輩できましたっ!暇になっちゃったんですけど、何をすればいいでしょうか!」って、何か切羽詰まったことでもあるかのような勢いで近づいてくる。別にこちらからは仕事の進歩状況は見えないし、「今週中にやっといて」と言ったのだから、3日でできたなら残りの2日をネットサーフィンや自分の勉強の時間に使うことだってできるのに、この後輩はなぜか〝仕事が終わったらすぐ先輩に報告をする〟という方の選択をしてしまう。なぜすぐに報告をしてしまうのかと言えば、〝働かざる者食うべからず〟という精神が、これまでの教育によって身に染みついてしまっており、仕事中に自由な時間を過ごすということに罪悪感を感じてしまうからだろう。
多くの人が残業を減らせない原因の大きな一つに、この〝働かざる者食うべからず〟という精神が身に染みすぎてしまっているということが挙げられる。「残業を減らせる仕事術!」という本はバカみたいに溢れているのに、「残業を減らせる報告術!」という本が存在しないことを考えてみると、これがいかに恐ろしいことかわかるだろう。誰も自覚できないくらい〝働かざる者食うべからず〟という精神が多くの人間の身体に当たり前のように染みついてしまっているのだ。
この〝働かざる者食うべからず〟という精神は一朝一夕で身体に染みついたものではない。それは幼稚園から始まる勉強生活やクラブ活動、部活、それぞれの家庭における習い事などの過程で培ってきた〝社会的規範〟として、私たちの身体に染みついている。その〝社会的規範〟は自分を拘束するかのような魔力を持っていて、「仕事が早く終わっても報告をしない」という振る舞いができなくなってしまうどころか、むしろ、報告をしないということを不愉快に思ってしまうくらいに、強く、私たちを拘束している。この拘束のやっかいなところは、そのことを自覚したとしても、なかなか止められないところである。なぜなら、長年かけて自分の中に染みついてきた社会的規範を破るということは、端的に身体レベルで不愉快に思えてしまうからである。
自覚しても変えられないならば、もうダメなのか?諦めるしかないのだろうか?大丈夫。そんなことはない。安心しろ。一つだけ方法がある。たった一つだけだ。そう、それは潮吹きだ!潮吹きしかない。もう私たちに残された道は潮吹きしかないんだ。一体どういうことか?
以前にも上記の記事で書いたことがあるが、もう一度、潮吹きについて考えてみよう。潮吹きというのは、昔は女性だけの特権かのように思われていたようだが、最近は〝男の潮吹き〟ブームとでも言わんばかりに、そこら中で男が潮を吹いている。潮吹きというのは、これもまたかつてから潮を吹く女性の間でよく言われていたことだが、身体的に気持ちいいかと聞かれれば、疑わしいものがある。よく言われるのは「オシッコが出るみたい」という感覚であり、潮を吹いたことのある自分の経験から考えても、確かに「オシッコが出るみたい」な感覚だし、射精より身体的に気持ちいいとは思わない。しかし、潮吹きには「オシッコが出るみたい」だからこそ、快楽に感じられるという側面があるのだ。
例えば、今このブログを読んでいる人は、その場で服を着たままオシッコを是非してみてほしい。できるだろうか?多くの常識的な人たちは、そんなことできないだろう。なぜならば、私たちは服を着たままオシッコをするということを教えられてこなかったし、そうした習慣も持ち合わせていないからである。これも、〝働かざる者食うべからず〟と同じ社会的規範の力であり、服を着たままオシッコをすることを不愉快に思ってしまうほどに、私たちの身体は「服を着たままオシッコをしてはいけない」という社会的規範に拘束されているのだ。
それと同様に、私たち常識人は、人前で見せつけながらオシッコをするという習慣も持ち合わせていない。身体的な快楽としては大したことのない潮吹きが快楽へと変わるポイントは、この、「人前でオシッコをしてはいけない」社会的規範を破るという側面にこそある。
社会的規範というものは、多くの人間の力で長年積み上げてきたものであり、個人の意志でそれを打ち破るのは難しい。しかし、それは人間の営為によって築かれてきたのも事実だから、誰かの力を借りれば、破ることだってできる。
私の場合は、M性感の超絶テクをもったお姉さんに、潮吹きへと導いてもらっている。M性感のお姉さんによれば、潮吹きに誘おうとしても途中で「オシッコが出るみたいで嫌だ~」と言って、妥協してしまうお客さんが後を絶たないらしい(※後を絶たないけどチンコはちゃんと勃っている)。しかし、そうした社会的規範による拘束が強い人ほど、潮吹きを達成した時の喜びもひとしおだそうだ。潮吹きだけにね。
潮吹きの力はもうお分かりだろうか?潮吹きの快楽というのは、「人前でオシッコをしてはいけない」という社会的規範を、打ち破るところにこそある。自分の意志で社会的規範を打ち破るのは難しいが、誰かの力で、半ば無意識のうちに、潮吹きという形で、破るのだ。そこにあるのは、社会的禁忌を破ることの苦痛と、破った際に訪れる快楽である。
それは、ただの快楽ではない。苦痛の快楽への転換。あるいは、苦痛そのものを快楽とだと思えてしまうこと。苦痛と快楽の両義性を自らの内に宿すということ。潮吹きとは、そのような精神的な自己改造なのである。一度そうした経験をしてしまえば、潮吹きという場面を離れ、様々な場面で禁忌を破ることの苦痛を、快楽へと転換させることができるだろう。こうした自己改造の果てに、忙しいビジネスマンは残業をやめ、自由な時間を手に入れる。
任された仕事を効率的に終わらせるということ。効率的に終わらせた後に、報告をせず、なにもしないということ。あるいは、空いた時間でネットサーフィンをするということ。風俗店のホームページを見るということ。ツイートをするということ。ギリギリまで仕事の報告はせず、とりあえず家に帰るということ。その際に訪れる〝働かざる者食うべからず〟という社会的規範。その規範を破っている自分に対する罪悪感という名の苦痛。その苦痛を、潮を吹いたときのように楽んでしまうということ。苦痛を快楽に転換させてしまうということ。苦痛と快楽が自分の中に同居することを面白がるということ。潮を吹くということ。生きるということ。