就活について①
今年は就職活動をしてサラリーマンになった。
昨年、大学院で倫理学を学ぼうという気持ち2割と、働きたくないという気持ち8割の意気込みを持って、都内の某大学院を受験することにした。
お金の支援が欲しかったので一応親にも相談をしたら
「まぁお前を勝手に産んだのも俺らだし、好きなことやっていいけどさ、大学院の学費くらいは貯めることが条件な」
と、中卒ブルーカラー酒とタバコとギャンブル網羅親父が言ってくれた。出産の身勝手さを認めた上で建設的な提案をするという、非常に倫理的な答えが返ってきて驚いた。まぁ倫理的な感覚については学歴など関係ないのだろう。
一方、大卒母親は
「なんで?」
と問い、
「勉強したいから」
と僕が応えると、
「そんな勉強ばっかしてもしょうがないよ」
と返答してきた。これまた驚いた。 今まで母親はしきりに
「勉強しなさい」
と言ってきたからだ。
高校で進学校に入学し、300人の生徒の中でビリから3番目くらいの成績をとった時なんか、どれだけ母親が悲しい思いをしているのかという長文メールを送ってきたほどだ。 文章の終わりには「アンジェラ◯◯(母親の本名)」とあり、僕はあまりの母親の痛さにひっくり返りそうになった。お前、ペンネーム持ってたんか、と。思春期の僕には恥ずかしくて仕方がなかった。ひっそりと子供に隠していたペンネームを召喚してまで勉強をするように働きかけてきたそんなアンジェラが、大学院受験の時には
「そんな勉強ばっかしてもしょうがないよ」
と言ってきたのだ。この時ばかりは昔バカにしていたアンジェラに再開したい気持ちも生まれたが、勉強を応援してくれるアンジェラはもう見つけることができなかった…。
しかし、経験的に母親は僕がやりたい事を言ったら文句を言いながらなんだかんだでOKしてくれるという性格なので、とりあえず一回否定されるのはある種の儀式のようなものだと受け止めた。
その後は大学の先生が不要としていた本を神の力でお金にするという方法で大学院の学費をしっかり稼ぎ、冬の試験に向けて勉強をした。試験には第二外国語もあり、それまでろくに勉強をしてこなかったので、ドイツ語の勉強漬けになった。ドイツ語を中心に専門科目と英語の勉強を進め、試験の日が近づいてきた。
結果は、受験料の振込失敗であった。
受験料の振込の期限最終日に銀行に向かった。銀行は3時に閉まるので、心配性な僕は余裕を持って2時に銀行に向かった。少し待ち時間があり、2時10分頃に受付をしてもらうと、
「振込は2時までです。ごめんなさい。」
と言われた。最近受付に姿を現した若い女性の方だったので、おそらく新人で、まるで悪いのは自分であるかのように、とても申し訳なさそうに謝られた。 こうして僕の大学院受験は終わった。
「しかし、こう考えることができる。単に私が受験料振込に失敗したのではなく、私の無意識がそうさせたのだ。深層のところで私は、大学院受験をしないことを望んでいたのだ…、と。」
こんな風に、勉強したてのラカン派精神分析を用いて自己正当化し、私が無意識に望んでいた就職活動を次の年から始めることにした。