プロフィール

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26歳素人童貞 a.k.a 素童

T179 B92(A) W73 H89

血液型B
出身地栃木
性格つらい
好きな食べ物カレー
好きな飲み物イソジン
マイブーム逆指名カードを貰いに行くこと
ファーストキスの味は?イソジン
初体験のシチュエーション小山セクシービーム
チャームポイントやくみつる似の顔
店長からのコメント
2018/11/10(土) 風俗エッセイ
『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』が発売されました。amazonレビューよりも、読書メーターのレビューよりも、風俗嬢の写メ日記でのレビューの方が多い本です。
店長からのコメント
完全業界外未経験の正真正銘の素人童貞です。
スケジュール
12/10(月) 12/11(火) 12/12(水) 12/13(木) 12/14(金) 12/15(土) 12/16(日)
 贅沢なひと時
の忘年会 
 ヘルス   -   贅沢じゃない
ひと時の
忘年会 
 -   ヘルス   - 

ちんこでイッた アナルでイッた

 
 「え、自分がイッたことあるかですか? 自分でもよくわからないです..
 
 「誰とでもイケるわけじゃありません! 心を許してる相手じゃないと。。。
 
 そんなことを口にするのは決まって女性だというように思っていたのだけど、気づけば自分も同じようなことを口にすることがあることに気づいた。絶対に、アナルのせいだ。ちんことアナルの違いのせいだ!
 
 まず、ちんこについて考えよう。ちんこをしごいて射精でイクということは、紛れもなく、ちんこの先から白い液体が飛び出るということだ。私たちは白い液体が飛び出ることを「イク」と呼んでいる。この白い液体の物質性の力は物凄く強く、男性のイクことに対するあらゆる解釈を停止させてしまうのだ。
 例えば、私が100人の聴衆の前で射精をしたとする。目の前に、白い液体が飛び出す。100人の聴衆の中の1人が手を挙げ、「お前はまだイッていない」と、私を指差して発言したとする。そいつは、異端者として燃やされる運命にあるだろう。私たちの社会では、ちんこの先から白い液体が飛び出たら「イッた」という解釈しか認められなくなっているのだ。これは1つの全体主義だと言ってもよい。それが白い液体という物質の圧倒的な力だ。白い液体は、「イッた」以外のあらゆる解釈を、私たちに許さない。
 
 一方で、アナルのドライオーガズムはどうだろう。ドライオーガズムに関しては、統一的な見解を見つけるのが難しいので、あくまで私の経験談を話そうと思う。いや、そもそもアナルのドライオーガズムに統一的な見解なんてものはなく、そこにあるのは個人の経験だけだということにこそ本質があるのかもしれないが、そんなことは一旦置いておいて、私の個人的な経験を話そう。
 
 M性感に行って、アナルに指を突っ込まれる。あるいは、男の娘・ニューハーフヘルスで、アナルにちんこを挿れられる。前立腺が刺激され、身体はガクガクと震えはじめ、喘ぎ声をあげながら手の平でシーツを握りしめて、意識も朦朧になってくる。その身体的な反応は、射精でイクときよりも遥かにイッているように見えているのではないかと思うほどだ。しかし、私はこの得も言えぬ気持ちよさをもって「イッた」と言えるだろうか?  おそらく「イッた」とみなすことも可能であるし、「イッた」とみなさないこともまた、可能である。そこには解釈の可能性が開かれていて、どちらかと言えば私は「イッた」とはなかなか言えない類の人間だ。なぜなら、アナルを責められている時は、射精の時の白い液体のような確固たるエビデンスが不足しているからである。
 
 アナルを責められて気持ちよくなっても「イッた」と言い難い問題というのは、電通マンが残業時間を減らせない問題とも似通っている。広告制作は「ここまで出来たら終わり」という明確な線引きがなく、「ここの文言を変更すればもっと良くなるのではないか」「背景色を少し明るくしたら見栄えが良くなるのではないか」と、納期ギリギリまで仕事が止められなくなってしまう。アナルもまた、そうである。「イッた」と言えるための明確な終わりがないから、「今も十分気持ちいいけど、本当はもっと気持ちよくなるのではないか」「今自分でイッたと思ってしまったら、それ以上の気持ちよさに到達できないんじゃないか」、そんなことを考えてしまって「イッた」と名指すことが難しくなる。いや、本当のことを言えば、広告制作も、アナルを責められるのも、「もう十分だからいいよ」と、強い意志さえあればいつだって恣意的に終わらせることは可能だ。  だから、これは個人の性格的な問題に依っているのだと思う。いくらでも妥協することはできるし、いくらでも頑張ることができる。アナルで「イッた」かどうかの解釈は、人間の心と同様に限りなく不安定だ。ここまで来ると、アナルとか関係なく、どのラインで自分を赦すことができるのか、各々の人間の自己受容の問題になってくる。
 
 私のように、いつまでもアナルで「イッた」と認められない人間にとって、アナル責めの終わりは、デリヘルの時間の終わりを告げるタイマーが鳴った時か、アナルが痛くてもう辛くなってしまった時にやってくる。M性感では、タイマーが鳴った後に、決まってM性感嬢のお姉さんから「もう~、今日は凄いイッてたね!」と言われる。私がそのお姉さんをいい人だな、と思っている時は、「あなたがイッたと言うのであれば、私は今日イッたのだろう」と、素直な気持ちで受け止められる。そういった双方の合意があって初めて、私は「イッた」ことになる。でも中には、気の合わないM性感嬢のお姉さんもいて、例えば、たまにドアを開けて会った瞬間に「あなたの顔を見ただけで性感帯がわかるわ」と、初見から一発かまされるようなことが私は苦手なのだけど、そういう人に責められて少し気持ちよくなって、プレイ後に「もう、今日は凄いイッてたね!」なんて言われても、「え~? そうっすかね~??? いつももっとすごいっすよ~?」と、すっとぼけたくなる。 そういう時、私は「イッてない」ことになる。
 
 アナルで「イッた」かどうかを判断する時の私は、射精の時よりもはるかに我儘だ。確固たるエビデンスがあるわけではないし、関係性の中でそれは決まるから、誰かと「イッたね」って相互承認をしたい時だってあるし、身体を許したところで「イッてないからね」って心を閉ざしたくなることもある。時には優柔不断な自分をそのままに「自分がイッたかですか? 自分でもよくわからないです..」って言うこともある。ちんこよりも、アナルの方が自分の気持ちに正直になれるし、我儘だし、嘘だってつける。
 
  そんな風に、アナルのオーガズムで「イッた」と認識できるかどうかは、身体的な気持ちよさに加えて、『自分のことをどのラインで赦せることができるか』とか『相手の人との信頼関係』というような、自分と自分、あるいは、自分と他人との関係性が条件になってくる。
 
 アナルでイクということには「自分と他人との関係性」が条件になっていることを身体で知ってしまうと、そもそも良い関係性が構築できていない人に穴を開いても仕方がないのではないか、という気持ちにすらなってくる。そうなると、ベッド外のコミュニケーションと、ベッド上のコミュニケーションの境目がなくなって、ただただ目の前の人との関係性をフラットに嗜好するようになってくる。「ちんこでイッた」時にはなかなか得られない感覚だ。「ちんこでイッた」では曇りがちなものが、「アナルでイッた」では見えやすくなる。
 
 だからと言って、私はちんこよりもアナルの方が良いとか、そういうことが言いたいわけでは、決してない。だって、M性感に行っても、男の娘・ニューハーフヘルスに行っても、お尻の穴に指やちんこを挿れられながら同時に男性器もしごかれるわけだし、結局のところ、信頼関係のある人にお尻を責められてアナルでイッてる最中に同時に手コキをされて射精するのが、めっちゃきもちぃ。