風俗嬢の演技で萎えませんか?という質問への回答
こんばんは、25歳素人童貞です。
今回は、風俗客としては切実なお悩みが質問箱に寄せられてきてしまいました。
そうですね。。。『浮気をするなら、バレないようにしてもらいたい』という方もいますが、それと同じような気持ちで『演技をするのならば、最後までわからないように演技をしてもらいたい』そんなお客心もよくわかります。
そんな気持ちも痛いほどよくわかるのですが、それでは25歳素人童貞は風俗嬢が演技してるとわかったら萎えてしまうかと言うと、そうでもありません。これはコツというよりかは、個人の主義主張のような話になってしまうので応えて意味があるのかは謎ですが、25歳素人童貞の考え方を書いておきます。
おそらくですが、風俗嬢の『演技』を毛嫌いしている方というのは、風俗嬢の「人格のコントロール」を過大に評価しているのだと思います。風俗嬢は素でいることも、演技をすることも、両方可能であり、それを「自由に使い分けることができている」のが見えてしまったのが気にくわないということなのでしょう。もっと言ってしまうと「嘘をつきやがって」という感情もそこでは芽生えるのかもしれません。そういう人は、人間の『自由』をある程度高く見積もって人間を見ているように思います。
25歳素人童貞の場合は、そんなに人間が自由に自分をコントロールできるとは最初から期待をしておらず、『不自由』ベースで捉えるようにしております。というよりも、何故かそういう考え方になってしまっています。
例えば、イメクラでもないただのピンサロなのに「はーい、心拍数を測りますねー。健康ですねー!そろそろ水分補給もしまちょうかー♪」と言いながらウーロン茶を口移しで飲ませてくれるという看護師プレイを仕掛けてきたピンサロ嬢が、フェラチオをする直前の髪の毛を結ぶ際にドッッッと疲れた表情をしたとします。というより、ありました。そういうことが1年前にありました。そういう時に、『自由』ベースで観察をするならば「素の表情があるのに演技してて萎えるわー」と思ってしまいます。しかし、『不自由』ベースで観察するならば、「うわぁ~、この子は完璧な演技がどうしてもできなくて細かいところで疲れた表情を出さざるを得ないんだなぁ~!」とか「っていうかそもそも演技とかせずに素で接することができる風俗嬢もいるのに、この子は疲れた表情を見せてしまうという失態を犯しながらもなお、演技をするという接客の仕方をせざるを得ないんだなぁ~!」って、不自由萌えができるようになります。
不自由萌えのコツは、あらゆる可能性を考えた上で、「そもそもそんなことをする必然性はないのに」という考えを掘り起こしていくことです。演技がうまくない風俗嬢がいたとしたら、演技が完璧な風俗嬢と比べるのではなく、そもそも演技をしなくても素で接客ができちゃう風俗嬢を思い浮かべます。そうすると、「そもそも演技とかせずに素で接することができる風俗嬢もいるのに、この子は演技をするという接客の仕方をせざるを得ないんだなぁ~!」という不自由萌えができあがります。そうした不自由萌えができるようになると、私たちの股間は自由になります。
この不自由萌えは、非常に汎用性のある考え方です。なぜなら、この世の人間なら誰しもが、生まれる時間や場所は自分で決めることができないという根源的な不自由さと共に誕生しているからです。いざとなればそこまで遡って、どんな人間にも不自由萌えをすることが可能です。
そんな風に考えると、この世の誰しもが「そもそもそんなことをする必然性はないのに、そのような言動をしている人」に見えてきますね。そんな世界では『演技↔素』という対立した概念は消滅し、全てが演技であるように見えてきます。これで、「風俗嬢の演技で萎える」という悩みも消滅ですね♪