【書評】『恋愛メディアがひろってくれない 童貞の疑問を解決する本』について、素人童貞による書評

 こんにちは。24歳素人童貞です。

 扇風機買おう買おうと思っていたら、もうすっかり秋ですね。この前もデリヘルの女の子と話をしていたら、午前中に洋服を買いに行ったことの話ばかりされてしまって、衣替えの季節だなぁと感じました。その女の子はディズニーとコラボした限定品のワンピースを購入するために、朝から遠くの店舗まで行って買ってきたとのことでした。お昼からの出勤なのにそんなことをしていたもんだから、ゆっくりご飯を食べる暇もなかったらしく、急いでファミリーマートの梅のパスタを食べていたら髪の毛に梅のパスタの汁が飛びちってしまったとのことで「ここの髪の毛が梅の匂いするから嗅いでごらん!」と、枝分かれした茶色だか金色だかわからないパサパサな髪の毛を提示されたので嗅いでみたのですが、気づいた時には私は勃起してました。その日の帰りにファミリーマートで梅のパスタを買って帰ったのは言うまでもありません。

 閑話休題、ついこの前、タイムラインに『恋愛メディアがひろってくれない 童貞の疑問を解決する本』という本の話が流れてきました。

 

恋愛メディアがひろってくれない 童貞の疑問を解決する本

恋愛メディアがひろってくれない 童貞の疑問を解決する本

 

  

 こういう恋愛サブカル系みたいな本は興味がないので普段は全く読まないんですけど、どうやらこの本は、この会社の素人童貞の方が風俗嬢に『クリトリスってどこですか?』って聞いたというネタから始まったらしく、その素人童貞のインタビューがあまりにも良かったので、ついつい買って読んでしまいました。

 

  

 この素人童貞の方がインタビュー記事の中でも紹介されているように、この本は全体を通して、童貞っぽい質問に対して女の子がビシバシときつい解答を浴びせていくスタイルの恋愛指南本のようなものになっております。

 

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  内容としては、正直なところ面白くはなかったです。面白くないどころか、素人童貞としては黙っちゃいられない表現もありました。素人童貞のこと『お金で穴に棒を入れた』とかこの本の中で言っちゃってるんですよ。ひどいですね。どれくらいひどいかって言うと、ここのページだけ拡大コピーしてTwitter社の前で踏んづけられるレベルのひどさです。

 多くの恋愛本でありがちなことですが、風俗に行った客や風俗で働いている人を貶めながらでしか自身の恋愛を肯定できないような恋愛本の書き方というのは、二流の作法と言う他ないでしょう。素人童貞のことを『お金で穴に棒を入れた』と表現するのは、素人童貞、ひいては風俗に対する無理解でしかありません。Twitterで『ソープ 卒業 できなかった』と検索すれば、それは一目瞭然です。

 

 

 『お金で穴に棒を入れることができると思ってたら入れられなかった』数々の英雄の証言が、素人童貞は『お金で穴に棒を入れた』だけの存在ではないということを、雄弁に物語っているのではないでしょうか。

 この本の話は、ここら辺にしておきましょう。この本の内容は大した問題ではありません。真の問題は、先ほどの素人童貞のインタビュー記事の中にこそあります。先ほどのインタビュー記事は、恋愛が上手くできなくて困っている素人童貞にアドバイスしてあげる的なノリでインタビューされているので見過ごされてしまっているのですが、あのインタビューを受けている素人童貞の方は、非常に哲学的に豊穣なめちゃくちゃ良いことを言っています。

 

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 『童貞って不可逆なものだと思ってた』、この発言に全てが詰まっています。先ほどのインタビュー記事の中身を取り出して見てみましょう。

 

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 なんて素晴らしいインタビューでありましょう!ここには『素人童貞』の本質についての議論が交わされています。 

 『素人童貞』とは何か。改めて考えてみましょう。『素人童貞』とは、素人の女の子に対しては童貞でありながら、プロの女の子に対しては非童貞という、童貞と非童貞という矛盾的な属性を併せ持つ存在であります。そこには、童貞を捨てて非童貞になるという単線的な世界観は通用しません。この『素人童貞』という不思議な存在を捉えるために必要なのが、近代哲学を完成させたと名高いゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが編み出した『弁証法という概念です。

 

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 弁証法とは、相反する矛盾を抱えた概念同士を、その矛盾を抱えたままより高次の次元の概念に統合することを言います。『素人童貞』とは、「童貞」と「非童貞」のアウフヘーベンによって生み出された存在なのです。これが『素人童貞』を理解するための基本の考え方であります。先ほどのインタビューされていた素人童貞の方の話は、更にここから先のことを言っています。彼が言うには、童貞は不可逆的なものではなかった。つまり、素人童貞は童貞に戻るということです。そのことを取り入れると、先ほどの図は以下のようになります。

 

 

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 ヘーゲル弁証法が、矛盾したものをより高次な次元に統合するものだったのに対し、この考え方には高次な次元というものもなくなっています。そこにあるのは、何かを否定しのし上がっていく単線的な世界観ではなく、一見成長しているように見えるが、実は同じところをグルグルグルグル回っていく円環的な世界観、19世紀最大の素人童貞であるフリードリヒ・ニーチェが提唱した『永劫回帰』の世界観であります。

 ニーチェは、童貞が卒業して非童貞になれるのは1度だけというような単線的な世界観ではなく、人間はある瞬間を無限に繰り返しているだけだという世界観を提示しました。単線的な世界観というものは、常に目標があり、常に否定を孕んでいます。非童貞になるためには、童貞を捨てなければならないし、特定の人と性関係を結ぶ恋愛を成就するためには、不特定多数の性関係を持つもの(先ほどの本で言えば風俗客!)を否定しなければなりません。そういった単線的な世界観とは別の、永劫回帰のような円環的な世界を、ニーチェは『この人を見よ』の中で、「およそ到達しうる最高の肯定の形式」だと述べております。

 

この人を見よ (光文社古典新訳文庫)

この人を見よ (光文社古典新訳文庫)

 

 

 永劫回帰の世界には、性に奔放なものなど存在しません。常に童貞と非童貞、処女と非処女を1人の身体の内に孕みながら、1回性の経験だと思われている卒業を無限に繰り返していく者のみが存在しています。ニーチェが生涯素人童貞であったことの意味を重く受け止めるべきでしょう。永劫回帰の無限に繰り返される世界を肯定して生きていける人間のことを、ニーチェは「超人」と呼びました。『童貞って不可逆なものだと思ってた』という認識にまで至ってしまったインタビューの中の素人童貞の方は、おそらく現代を生きる「超人」に違いありません。『この素人童貞を見よ』と言いたくなります。

 

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 目の前に超人がいるにも関わらず、素人童貞のことを「お金で穴に棒を入れた」としか捉えることのできなかったところが、『恋愛メディアがひろってくれない 童貞の疑問を解決する本』の最も大きな功罪だと言えるでしょう。

 

恋愛メディアがひろってくれない 童貞の疑問を解決する本

恋愛メディアがひろってくれない 童貞の疑問を解決する本