風俗嬢の演技ついて思うこと

 こんにちは。地下にある店舗型風俗店の店内が異様に蒸し暑くなり、現れた女の子の身体がプレイ前から少し湿り出す季節ですね。いかが御シコりでしょうか。

 

 もうこれは随分と前の話だけど、池袋のとある風俗に物凄く色々な演技をしてプレイをしてくれる女の子がいたんだ。イメクラでもないただの素人店なのに、看護婦さんになりきって「水分補給しましょうね~」って飲み物を口移ししてくるような。帰り際も「今度は新しいプレイ用意して待ってるね♡」とか言ってくれて、完全にセルフでイメージプレイを提供する女の子がいたんだ。

 

 その女の子について、某レポートサイトに絶賛レポートを投稿したら、コメント欄に文句が来てしまった。

 「俺もこの子に入ってみたけど、時たま素の表情を覗かせる子で最悪でした。演技なんだなって思って悲しくなりました。」

 というコメントが来てしまったんだ。

 

 まぁ、言いたいことはわかるけど、こういうコメントを見ていると、自分は風俗嬢の演技についての見方が違うんだなぁと思う。

 

 例えば、恋人気分にするために恋人っぽい接客をしてくれる風俗嬢がいたとする。そんで、フェラをする直前に髪を結ぶ際、もの凄く疲れた表情を見せたとする。(髪結ぶ時って油断でもするんですかね。結構いるんですけど。)そういう時にさ、すごい疲れた表情の女の子の方を〝素〟であるとか、それ以外のプレイ中の女の子のことを〝演技〟であるとか、そういう区分ってそんなに意味があることなのかなぁって思ってしまう。それって結局、女の子に自分の思い通りのキャラになってほしいだけで、何から何まで自分の思い通りのキャラだった女の子が「素晴らしい性格の女の子」なのであって、自分の思い通りのキャラにならなかった女の子のことを「ただの演技だった」って言っているだけだと思うんだよね。

  吾輩はその子が時どき疲れた表情を見せたからといって、そっちの女の子の表情の方が〝素〟だとは考えない。その子は恋人になりきってプレイをしてしまうところ、そして時たまお客さんの前で疲れた表情をしてしまうところ、その両方を合わせてその子の〝素〟だと思うんですよね。だから吾輩は、そういう意味ですべての風俗嬢は皆等しくそれぞれの〝素〟を出して勝負しにきていると思うので、別に演技で騙されたとか、そういう考え方にはならないのです。

 

 こういう風に考えることのいいところは、何もかもが面白く思えてくるところ。女の子の疲れた表情だけを〝素〟だと決めつけた人が、「素の表情を見せるな!」と怒って切り捨ててしまったものの中にこそ、本当に面白い部分があると思う。

 

 例えば最初にあげた看護師のプレイをしてくれる女の子。吾輩が書いたレポのコメントで「俺もこの子に入ってみたけど、時たま素の表情を覗かせる子で最悪でした。」なんて言われるまでもなく、吾輩が入った時も髪を結ぶ時にすげー疲れた表情を見せてたし、時たま「コミュニケーションがしんどい」とでも言いたげな投げやりな表情も覗かせていた。それでも「素の表情を見せるな!」なんて切り捨てるのはやっぱりもったいない。看護師プレイをするときも素、嫌な表情を覗かせてしまうのもまた、この女の子の素なのです。そう考えてみると、すごい興奮することがある。だって、この女の子、時たますごい疲れた表情するのに、3秒後にはノリノリの看護師プレイになるんだよ。そんでまた投げやりな表情を覗かせたと思えば、すぐまた3秒後には「水分補給しまよーねー♡」って飲み物を口移しにしてくれるんだよ。「演技」という言葉が使われるとき、大抵は「本当は演技をしない素の自分を持っているけど、何かの目的をもってあえて演技をしている」という意味が込められていると思う。だから風俗客としては騙された気がするのでしょう。でもさ、この看護師プレイの女の子は、何度も何度も看護師になりきろうとするけど失敗して疲れた表情を見せてしまうんだ。それでも何事もなかったかのように、3秒後には看護師になろうとするの。そこには「本当は演技をしない素の自分を持っているけど、何かの目的をもってあえて演技をしている」なんて余裕は見られないわけ。そんなにうまくいかないんだったら、他の接客方法を考えればいいのに、それでも何度も何度も失敗しながらそのキャラを続けてくるわけ。むしろ騙されてるのはお客さんである自分ではなくて、この女の子本人が自分を騙しているんじゃないかって、そんな風に思えてくるわけ。そんな葛藤を抱えながらも、必死にエッチなことをしてくれるだなんて、考えただけでも興奮するでしょう。吾輩はすげーチンポ勃ちましたよ。勝手に「演技」と「素」を分けて切り捨てちゃうのは、もったいないですって。