祖母さんが亡くなって半年

 祖母さんが亡くなって半年が経った。

 といっても、別に悲しみにふけっていたわけでもなく、この半年も普通に私は生きていた。

 

 祖母さんは僕が小学3年生くらいの時に半身不随になった。ある日朝起きると、母親が『ちょっとお母さん!どうしたの!』と朝から大きな声を上げ、祖母さんの部屋に走っていった。祖母さんはベッドから落ちていたようで、起き上がれなくなっているようだった。確かその時は64歳くらい。

 家の中が慌ただしかったけれど、学校に行かなければならないので学校に向かった。自分の家の方に向かう救急車と登校中にすれ違い、なんだか大変なことになっているなぁ、とは思った。

 その後のことはあまり覚えていないけど、確かしばらく入院して祖母さんは実家に戻ってきた。脳梗塞だったらしい。左半身は完全に動かなくなってしまっていて、車いす生活になっていた。

 

 祖母さんは半身不随になる前は本の配達を行っていて、60歳を超えているにも関わらずバリバリの肉体労働、そして夜な夜な橙色の電球が光る暗い部屋で、一人で黙々と会計業務もしていた。小学生の僕からすれば祖母さんはとても理知的でパワフルな人間に見えていた。僕が両親と喧嘩をした時も、祖母さんの部屋に逃げ込めば優しく相手をしてくれ、祖母さんは家族の中でもどこか逃げ場所のような存在であった。

 

 割と自分はおばあちゃんっ子だったので、慕っていた祖母さんが突然、日常生活もままならなくなってしまっている現実と直面するのには辛いものがあった。今であればそんなにショックを受けることでもないけど、小さい頃だから、まぁ仕方がない。

 

 そしてもっとショックを受けたことがあった。確か小学5年生くらいのお正月。祖母さんのベッドの上で一緒にボードゲームをしていたら、祖母さんが何の前触れもなく小便のお漏らしをしてしまった。ベッドのシーツがじわじわと濡れていった。僕はなんだかそれがもの凄くショックで、その頃から祖母さんのことを少しだけ軽蔑するようになってしまった。自分も小学5年生のくせに頻繁にオネショをしていたのに、勝手なもんである。

 

 そんでその頃からもう前兆はあったのだけど、祖母さんはどんどんどんどんボケていってしまった。母親が病院に連れて行ったら、認知症と認定されてしまった。脳梗塞から半身不随で認知症というのは、あるあるなパターンらしい。とは言っても最初は少し話が通じなくなったり勘違いが多い程度。でもだんだんだんだんと症状はひどくなっていって。僕が高校生の時に、家に帰ったら救急車とパトカーがたくさん家の前に止まっていて、僕が家の屋根の上に登って消えてしまったのを警察官も消防士も探していた、ということだ。一体何を言っているのかという感じだが、幻覚か何かが見えて110番と119番に祖母さんがそう電話をしてしまっていたのだ。母親はどうしようもない事態に情けなくなって泣いていた。僕は割と非日常が好きなので、また面白いことが起こったなぁ、くらいに思っていた。

 

 だんだん祖母さんは幻聴や幻覚も見えてきて、最終的には念仏を唱えたり神についてよく語るようになった。それでも最後まで家族の名前は憶えていて不思議なものだったのだけど、とうとう家族の名前まで忘れる日もやってきた。

 

 初めて自分の名前を忘れられた日はなかなかショックであった。面と向かって『誰だっけ』ってニコニコしながら言われてしまい、なぜか接し方も他人行儀。さすがに高校2年生くらいだったのでその場で泣いたりはしなかったが、自室で一人ぐすんぐすん泣いたりはした。まぁ高校生と言っても世を知らない子供なので、自分が泣いている理由も特にわからないわけよ。でもなんだか不安とも驚きともショックとも言えない何かしらの動揺があって、とりあえず泣いた。

 

 大学でそこそこ真面目にお勉強をして卒業した今にしてみればよ、あの時に悲しくなったのは、自分のアイデンティティの大きな一部が喪失してしまったからだ、なんてことを考えることもできるわけ。人間は『父親からみた私』とか『友達からみた私』とか『先生からみた私』とか『後輩からみた私』とか、いろんな『私』を生きているわけで。これが普段は当たり前すぎて気づかないけど、そういう風に生きているわけ。祖母さんの記憶から自分がいなくなってしまったということは、小さいころから慕っていた『祖母さんからみた私』が無くなってしまったということでもあるのさ。そりゃあ悲しくもなるわけですよ。

 

 綺麗なところだけ切り取れば認知症の祖母さんとの経験からそんな教訓も得られるわけだけど、実際はさ、認知症で日常生活も満足にできず、時にはパトカーも救急車も呼んでしまって、日ごろは念仏と神について語る祖母さんが家にいると、家族のみんながイライライライラするわけ。だから亡くなる直前の6~7年はもう老人ホームに完全に預けっきりで、母親が1か月に1~2回会いに行っていたくらいだった。自分は大学生だったので、実家に帰省した時に会いに行く程度で、1年に2~3回しか祖母さんとは会わなくなっていたよ。老人ホームに踏み切ったことで家族のみんなのイライラもかなり解消されていたよ。

 

  そんなこんなで祖母さんは半年前のとても晴れた日の早朝に亡くなってしまったわけです。葬式の時に胡散臭いお坊さんが定型文のように『〇〇様は亡くなられましたが、これからも皆様の中で生き続けます』みたいなことを言っていたけどさ、そんなこと言われなくてもこっちは痛感しているわけですよ。祖母さんの記憶から自分が無くなって『祖母さんからみた私』が失われて悲しいという話をしたけども、その時に悲しい思いをするためにはもう一つ条件があって、『私からみた祖母さん』が存続していなければ悲しくもならないわけです。『祖母さんからみた私』は失われているのに自分の方には『私からみた祖母さん』がありありと存続していて、そのギャップが悲しかったんですわ~。というわけで、お坊さんに『これからも皆様の中で生き続けます!』なんて言われなくても、そんなの知ってるわ~!って感じでした。まじでお坊さんのいうことはただの綺麗ごとだと思っていたけども、まぁ一理も二理もあるということですね。お坊さんに言われただけじゃ納得はしなかっただろうけどね。

 

 そんでさ、さいきん社会人になった私はとても忙しいわけですよ。仕事辛い~死にたい~とかいう気持ちはもちろん湧いてくるわけで。そんな気持ちが高じてなのか、食事も排泄も適当になったりするわけ。自分は精神的に生きる気力がないのに身体の方はいつもと変わらず生きる方向に動いていて、そういうのうざったいなぁ~ってなるから、腹いせに食事とか排泄を適当にしちゃうわけ。なんかもう小便をしても水で流さないとかしてしまうわけですよ。さすがに2回、最高でも3回目でいつもは流すんだけど、先々週あたりはまじで疲れてしまって、たぶん5回くらい流さないままにしてしまったわけですよ。正社員に成り立てで貧乏なのに地価の高い都内に住んでいる私の部屋はもちろんワンルーム。そんであるとき突然、自分の部屋に異臭が漂っていることに気づくんだよね。でもすぐに尿の匂いとは気づかないわけ。別にトイレで小便を流さないのは意識的にやっているわけでもなかったから、本当に気づかないんだ。んでしばらく臭いな~臭いな~と思って生活して、トイレに行ってやっと気づいたんだよね。あぁ、臭いの元はこれか…って。そんでその時にめちゃくちゃ祖母さんのこと思い出した~!祖母さんはさぁ、半身不随になってから歩いてトイレに行くこともデンジャラスな世界観になってしまったから、簡易式トイレをベッドの横に常備していたのね。んでしばらく排泄物が溜まってから家族の誰かがトイレに流しにいくようなシステムになっていたんだけどさ、簡易式トイレに排泄物が溜まっていくとね、リビングがだんだんだんだんアンモニア臭に包まれてきてさぁ、なんか軽く湿度も上がっているような気もしてきて、すごい気怠い気分になるんだよね。臭いし。中学高校の頃はず~っと、そんな独特の気怠さが漂うリビングで生活をしていてさ~。先々週、小便を溜めてしまって臭くなったワンルームも、全く同じ匂いが漂ってきたんですよね~。うわ~、久しぶりだ~って。まさかここで祖母さん来るんかぁ~、って思ったんだけど、普通に一瞬で水で流しますよね。さすがに臭いのは嫌だから。いつもはジュゴ~ッって鳴る水を流す音も、祖゛母゛~っって聞こえるくらいには祖母さん感があったんですよ~そん時は。こんなところで祖母さんと遭遇するとは本当にまさかまさかといった感じで。予想もしていないところで出会うんですね~、地雷みたいに。いやぁ、今は見えないだけで、まだまだ祖母さんはこの世界のどこかに埋まっているんでしょうね~。今度はいつ踏むかな~って割と楽しみでもあるけど、そういうのはたぶんまた忘れたころに踏むんでしょうね~。