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素人童貞のブログ

文系無職からのシステムエンジニア辛い

この世界の誰もが素人童貞になれる魔法の思考術

素人童貞とは?

 素人童貞のことを知らない人もいると思うので、まずは「素人童貞」とは何か、というところから考えてみよう。「童貞」というのは誰もが知っているように、性行為の経験がない男性のことを指し示す言葉だ。その「童貞」の上に「素人」がくっつくと、素人を相手にした性行為の経験がない、つまり、プロを相手にした性行為の経験しかない男性のことを意味する「素人童貞」という意味の言葉ができるのだ。

 

素人童貞という言葉の成り立ち

日本の童貞 (河出文庫)

日本の童貞 (河出文庫)

 

 

 社会学者の澁谷知美さんの著書『日本の童貞』によれば、「素人童貞」という言葉は、1983年(昭和58年)の雑誌『月刊プレイボーイ3月号』で「プロの女性としかイタしておらぬ仮性オトコ」と定義されて出てきたのが初出であるらしい。性風俗店で働いている風俗嬢以外の女性との性行為の経験がない男性に対して蔑んで用いる言葉で、1980年代末頃から定着してきた言葉だそうだ。しかし、実際には「素人童貞」という言葉なんて根付いているだろうか?

 私は「素人童貞」という用語のエゴサーチを日課にしているが、「素人童貞」という言葉を知らない人や、「童貞の中でも素人と玄人の序列があるのか!」みたいに間違って「素人童貞」という言葉を捉えている人間が数多くいるのが現状だ。しかし、これには仕方のない部分もある。「素人童貞」という言葉は、実のところ意味が曖昧だからだ。

 少しでも「素人童貞」という言葉について考えたことがある人ならば、すぐこの問いに行き着くはずだ。

「風俗嬢じゃなくて援助交際でSEXした人も素人童貞なのか?」

「風俗で挿入はしなかったけど、素股とかした人は素人童貞なのか?」

 厳密に考えれ考えるほど、「素人童貞」という言葉の曖昧さにただただ打ちひしがれてしまう。それに、よくよく考えてみてほしい。そんなに厳密に考えることだろうか。そんなことはないだろう。いや、むしろ厳密に考えるべきではない、と言うべきだろうか。我々の住む世界は「素人童貞」という概念が誕生した1980年代から30年も進んでいる。取り巻く環境が既に変わってきてしまっているのだ。

 

童貞」概念の広がり

 「素人童貞」という概念は、当然、「童貞」という概念を前提にしている。「素人童貞」を考えるために「童貞」という概念について考えてみよう。

 

 「なんかお前童貞くさいなぁ」

 「お前童貞脳だなぁ~」

 

 2010年代の今の世界に住む私たちは、日常的にこんな会話をする。自覚的であろうが無自覚的であろうが、誰かが童貞かそうでないかを、実のところ性行為をしたことがあるかどうかでは判断していない。性行為どころか、その人の考え方や話し方、もっと言ってしまえばその人の人間性で、童貞っぽいかそうでないかを判断しているのが現代人だ。

D.T.

D.T.

 

  そのように、童貞かどうかの基準を人間性にまで拡張した先駆的な書物と言えば、みうらじゅん伊集院光の「D.T.」である。この本が出版されたのは2002年だ。それから10年以上、「童貞っぽい性格」や「童貞脳」という表現は、日常会話でも見られるようになった。もはや、性行為の経験がある者もない者も、人間性で童貞かどうかを判断される世界だ。変わってきている。私たちを取り巻く世界は確かに変わってきている。このように「童貞」の概念の意味が変わって来ているのならば、それを前提としている「素人童貞」の概念の意味するところも変わってこざるを得ない。そして、その言葉の意味の移り変わりによって、素晴らしい世界が広がる。誰しもが「素人童貞」になれる可能性のある世界だ。

 

僕は誰しもが素人童貞になれることを証明しようと思う

 誰しもが素人童貞になれる世界?そんな世界はあるだろうか。ある。それを証明するために、まずは人間の記憶の話をしよう。そうだな、まずは日本人の記憶の集大成でもある日本史の話から始めよう。少しだけ、個人的な経験を聞いていただきたい。

 私は中学・高校と、日本史の勉強が嫌いで嫌いで仕方がなかった。本当かどうかわからないことを歴史的事実として教えられるという嘘くさい感じが嫌だったのだ。例えば私が高校生の頃、鎌倉幕府成立の年号が1192年ではなく実は1185年ということがわかった。さんざん「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府!」とか言っておいて、それが間違っていたのだ。歴史的事実なんて所詮その程度のもの。あまりの意味のなさに私は更に歴史を勉強しなくなってしまった。

 

「歴史=事実」という考え方がピュアすぎた

 しかし、大学で勉強する中で、自分の考えがあまりにもピュアすぎたことが判明した。「歴史なんて本当かどうかわからないじゃないか!」と反発していた自分こそ、「歴史=確固たる事実」という考え方に最も囚われていた存在だったのだ。大学で出会った頭の良い人間は最初からそんな考え方などしていなかった。ではそのような人たちは歴史をどう捉えていただろうか? 

 例えばイギリスの歴史家E・H・カーの著書「歴史とは何か」にその考え方の答えが書かれている。

歴史とは何か (岩波新書)

歴史とは何か (岩波新書)

 

  カーによれば、「歴史」の定義は以下のようになる。

 

歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。

  

 歴史とは、現在と過去の尽きることを知らぬ対話!まさにこれである。今まで教えられていた「鎌倉幕府が1192年に開かれた」というのは厳密に言い換えるならば、「鎌倉幕府が1192年に開かれたという資料が今のところ有力とされている」という意味であり、それは歴史家が過去と対話している最中ということなのだ。そのように考えれば「鎌倉幕府が開かれたのは1185年になりました」というのは、「鎌倉幕府が開かれたのは1185年だという資料が新たに発見された」という意味なのであり、歴史家と過去の対話が一歩進んだということだ。確固たる歴史的事実が眠っていてそれを〝発見〟して終わりなのではなく、一番有力な、一番妥当な歴史的事実を不断に探究し、過去と対話し続けていくこと。これこそが「歴史」なのである。そのような態度でいれば、「なんだよ!今まで教えられてたのは嘘だったじゃないか!」なーんて昔の私のようにナイーブになる必要もない。新しく歴史が塗り替えられたならば「おー、研究が進歩したのか」と素直に感心すればよいのだ。それが「歴史」を現在と過去との対話としてみる態度ということだ。

 

それぞれの人間の個人史も同じ

 頭の悪い私にとっては「歴史とは何か」という問題は大問題だったのだが、よくよく考えてみればこれは当たり前のことだ。さっきまでは集団の記憶である「歴史」について考えてきたが、普通に個人的な記憶について考えてみればよい。

 例えば高校生の頃に何か勉強や運動が得意で、「お前は超高校生級だ!」なんて周りの大人にチヤホヤされている状況を思い浮かべてみるとよい。そんなことを周りの大人から言われれば、高校生くらいなら「俺は超高校生級だ!」なんて思ったりするのが普通である。しかし全国大会などに出場して、自分より格上の高校生がうじゃうじゃいる現実を知った時、「俺は超高校生級なんかじゃなかった!ただの高校生じゃないか!」なんて挫折したり絶望を味わったりすることもある。自分が普通の高校生級なのか、超高校生級なのか、それはどこかに確固たる事実が存在して〝発見〟されるようなものではなく、「歴史」と同じように、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話の中で探究され続けていくものなのだ。現在の状況が変われば、過去に「超高校生級」だった自分も「普通の高校生」に変わってしまう。人間の記憶とはそういったものだ。「歴史」と同じように、個人個人の記憶も現在と過去の不断の対話なのである。

 

さぁ、素人童貞になる時間だ

 私は今まで2つの話をしてきた。

 1つは、「素人童貞」の前提となる「童貞」の概念が人間性にまで拡張されてきている現実。

 2つは、人間の歴史=記憶というのが現在と過去との不断の対話であるということについて。

 こうした現実を踏まえると、誰しもが素人童貞になれる広大な世界が目の前に広がりだす。従来ならば、素人とセックスをしたことがある人間は素人童貞になることは不可能だった。なぜならば「童貞」かそうでないかの基準は、挿入の経験があるかないかで決められていたからだ。しかし、今の世界ではもはやそれは通用しない。「童貞」であるかどうかは、人間性にまで拡張されてきているからだ。そうは言っても、まだこういうことを言う奴がいるかもしれない。

「いやいや、俺は挿入の経験もあるし、人間的にも童貞っぽいところは一切ない」

 しかし、もはやこれも通用しない。記憶の話を思い出してほしい。例え、今は自分は童貞を超えた超童貞級の人間だと思っていたとしても、全国大会で自分より格上の怪物を目撃したあの高校生のように(!)、何らかの拍子で「俺は超童貞級なんかじゃなかった…ただの童貞だった。」と思う日がやってくるかもしれないからだ。

 

お前はもう風俗に行ったら素人童貞

  ではそういう奴がもし風俗に行ったらどうなるか?レベルの高い風俗嬢の性行為中の圧倒的コミュ力や、エロに対する飽くなき探求心、たぐいまれない技術を目撃し、「性行為の世界はこんなに広かったのか。今まで性行為を経験し、人間性にも問題はなかったから俺は童貞ではないと思っていたけど、無知なだけだった。俺は童貞だったんだ。。。」と反省する日が必ず来るだろう。反省したとうことは、風俗で初めて知ったことがあったという証だ。言わば初体験だ。ん?風俗で初体験?

お前、もう素人童貞やないか。

 

素人童貞という生き方

 さぁ、もうわかっただろう。「素人童貞」というのはもはや「風俗嬢としかセックスしたことがない人」という消極的な意味ではあり得ないのだ。 「素人童貞」とは、風俗に行き、風俗嬢とのエロを含めたコミュニケーションの中で不断に新たな発見し続け、過去の自分を反省することで、自己鍛錬ができる人間のことを言うのだ。風俗で新たな発見ができる限り、誰しもが素人童貞になることができる。風俗に行き、自己を磨き、自分の中に様々な初体験を蓄積していくこと。「素人童貞」とは、そうした積極的な生き方に他ならない。