頭のいいメサコンには腹が立つ
頭のいいメサコンには腹が立つ。
頭のいいメサコンはよくしゃべる。
頭のいいメサコンはあらゆる可能性を想定した上で人助けをしようとする。そうすれば自分はメサコンにならないと信じている。
例えば次のことを考えてみよう。
交通量が多く、信号のない横断歩道の手前で、腰の悪そうな、70代くらいのおばあさんがいたとする。
私はおばあさんをおんぶをして一緒に横断歩道を渡ることにした。
「良かったらおぶっていきますよ」
おばあさんは
「どうも」
と、快諾をしてくれた。
車が来なくなったタイミングで、おんぶをして横断歩道を渡る。
渡り終わると、お婆さんは恍惚な表情で
「ありがとう」
と言ってくれた。
実はこの時、 お婆さんは、おんぶをされて横断歩道を渡っている時の振動によって丁度いい具合で股間を刺激され、実に30年ぶりにオーガズムを迎えていたのだ。
もちろん、私はそんなこと知る由もない。
私とお婆さんは軽く挨拶をし、お別れをした。
頭のいいメサコンは、例え話で人助けの話が始まった時点で身構える。
自分の好意が相手に伝わらないこともある。それを想定した上で人助けをしなければいけないのだ!って。
頭のいいメサコンは頭が良い分、お婆さんの話が始まった時も
「おんぶをするということが老人扱いをしていることになるので失礼になるかもしれない!」
というようにすぐ考える。
そのようにあらゆる可能性を考えれば自分はメサコンではなくなると信じている。しかし、それは大きな勘違いだ。あらゆる可能性を考えていると思い込んでいるが、結局「自分と相手の気持ちの一致」というベクトルでしか考えられていないところが、どこまで行ってもメサコンなのである。
お婆さんはこちらの好意なんぞ軽く飛び越え、30年ぶりにオーガズムを迎える。
自分と相手の気持ちが一致しなくても、世界はそんなにも豊かなのである。