人生なんて一回切りなんだから、どうせなら楽しく生きようぜ地獄①
「人生なんて一回きりなんだから、どうせなら楽しく生きようぜ」
こんな言葉に触発されてしまったことは誰にでもあることだろう。
今自分がいる場所から一歩抜け出したところに行きたい!、まさにそんなことを考えている最中、テレビやラジオの向こうから、あるいは漫画の登場人物のセリフから、はたまた目の前にいる友達の口から、こんなことを言われた日には人生が一歩前進しそうなもんだ。
特に若い時なんてそうだ。
もし僕が自らの第二次性徴に目覚めたばかりの女子高生だったら、
「人生なんて一回きりなんだから、どうせなら楽しく生きようぜ」
という言葉に触発され、この世の深層を知ってやろうと、風俗で働き出していたかもしれない。まぁ風俗なんてこの世の表層中の表層でしかないけど。
おっと、なぜだか急に女子高生の気持ちになってしまった。
実際に自分がそんな言葉に触発されて何かをしたことがあるかと過去を思い出してみると、セルフ◯ェラくらいしかないわな。それくらいしか無いというのは恐らく嘘だろうが、セルフ◯ェラを成功させた時の感動が凄すぎてそれしか思い出せない。たしか2時間くらいかかった。いつ親や兄弟が入ってくるかわからない自室で、2時間くらいありとあらゆる方法で腰を曲げ、セルフ◯ェラに向かい一直線に走り続けた。初めは50センチ以上届かなくて一向に届きそうになかったのに、2時間も続けると差が縮まるもんだ。あれほど自らの成長を感じたことは今まで無い。一直線に走り続けて向こう側の世界へ行くことができたのだ!確か味は少しだけ苦かった気がする。
まぁそれくらいが僕の人生の頂点だ。
「人生なんて一回きりなんだから、どうせなら楽しく生きようぜ」
そんな精神はその程度のものなのだ。
なんかセルフ◯ェラのせいで話がずれてないか?
「人生なんて一回きりなんだから、どうせなら楽しく生きようぜ」
って言葉が悪いんじゃなくて、悪いのは普通に俺個人なんじゃないか?って思いが込み上げてきて不安になってきたけど、話を続けることにしよう。
いや、ここでもう一回話を脱線させておこう。
「セルフ◯ェラ」という表記について。一応下ネタなので一文字隠しにしてはいるが、「セルフ◯ェラ」という表記にすると「"セル" "フ◯ェラ"」というように人は文字を認識し、後ろの4文字を見ただけで「◯」の中に何の文字が入るのか、思考する以前にわかってしまうのである。