風俗嬢にオナホールを持たせたら、そこには素晴らしい世界が広がっていた

 中学1年生の頃だった。たくさんのドキドキ感とちょっとの罪悪感を引きつれ、18禁のアダルトショップに1人で入店し、オナホールを初めて購入した。

 

 女の子の性器に幻想を抱ける中学・高校の頃はまだ気づいていなかったが、今ならわかる。性器に与える刺戟という点において、オナホールは完全に人体を超えている。具体的に言えば、一般人のフェラチオや挿入の気持ち良さなど軽く超えてしまっている。

 

 「中学生」という性の目覚める多感な時期に、私は既にオナホールを使っていたのだ。もちろん、同世代の少なくない男性もそうだろう。これは大変なことだ。

 

 最近、膣内射精障害に悩む日本男子が増えているそうだ。

 

 「膣内射精障害」とは、オナニーでは射精できるのにセックス時に膣内では射精できないことを言うらしい。

 うんうん。わかる、わかるぞー。痛いほどわかる。私は膣内で射精できないわけではないが、非常にわかる。性風俗店で初めてフェラチオをしてもらった時、あるいは、お風呂屋で入浴補助をしてくれる女性従業員の方と自由恋愛で肉体関係を初めて持った時、「思ったより全然気持ちよくねぇなぁ」と、心の中で思った。当たり前だ。中学1年生の時からオナホールという英才教育を受けていた自慢の息子なんだぞ。

 こんな経験は、私個人の経験に止まるものではない。北方謙三の「ソープへ行け」という言葉をまともに受け取ってしまったピュアな童貞たちも、ソープで同じような経験をしている。

 

 気持ちイイかどうかというと、気持ち悪くはないけど、まあこんなだったらTENGAとかの方が気持ちイイんじゃないかな?そんな事を思いながらそれっぽい動きをして、イッた。 

 

 長い年月をかけて性行為への幻想を散々膨らませて、実際に事をいたすと期待を超えられずに失望する。そんな姿は文学的で美しいなぁ、と個人的には思うけど、問題があることは確かである。どんなところが問題か。先にリンクを貼ったココロとカラダの教科書こと「WELQ」の記事から取り出してみよう。

 

 男性にとって(膣内)射精が出来ないという問題は、精神的な落ち込みだけでなく、自己卑下を生じさせ、生活の質まで悪化させる可能性があります。下手をすると、パートナーとの関係がこじれてしまったり大きなストレスを抱えることになりかねません。

 女性も「自分に魅力がないから相手が射精に至らないのかもしれない」と思い悩むかもしれません。思い悩んだ末、別れを決意する人もいるかもしれません。

 

 女性としては、パートナーがいつも自分の中でいくことができないのは、自分に魅力がないのかな、などと不安にもなりますし、精神的に辛くなりますよね。そして、お互いがそれぞれに自分を責めることにもなりかねません。

 

 うんうん、これもとてもわかる。私も風俗でイケないと女の子に申し訳なくなるし、自分に自信もなくなる。たぶん、自罰的な性格の優しい女の子も、自分のせいでイかせられなかったと申し訳なく思うことだろう。これが他罰的な人だったら更に大変だ。「お前が濡れないのが悪い!」「締まりが悪いからだ!」「テクがないからだ!」と女の人は責められるだろうし、「お前遅漏かよ!」「膣内射精障害か!」「オナニーの仕方が悪いんだよ!」などと男は責められてしまうだろう。なんて汚らわしい責任のなすりつけ合いだろうか。あぁ、地獄だ。膣内射精障害とはこんなにも悲劇的なものなのか。

 どうしてこんなことが起きてしまうのだろう。ココロとカラダの教科書こと「WELQ」の記事は、膣内射精障害の原因として2つのものを挙げている。

 1、刺戟の強いオナニーのしすぎ

 2、ストレスなどの心の問題

 そして対処法として、女性が男性の性器の大きさを褒め男性に自信を取り戻させる、オナ禁させる、握力を弱くしてオナニーする、腰を動かしてオナホールを使う、などが挙げられている。なんだか涙ぐましい努力だ。。。もうここまで来ると、この記事を書いている人たちの方が膣内(で)射精(してほしい)障害なんじゃないかと思ってしまう。ココロとカラダの教科書なのに、性病の危険性を何も書かずに膣内射精を当たり前に善いものとしているのは、膣内(で)射精(してほしい)障害の症状なのでは…?と思ってしまうが、まぁそれはさておき。。。

 

 もちろん私も何も努力をしなかったわけではない。ネットで調べるまでもなく、オナ禁、弱い力でオナニー、腰を動かしてオナホールの使用、亜鉛サプリを飲む、等の対処法を試したこともある。確かにこういった努力をすると、フェラチオや膣内で射精をしやすくなる。効果はあるだろう。しかし、あの「思ったより全然気持ちよくねぇなぁ」という気持ちがいつまでも亡霊のように付き纏ってくるのだ。

 

 私はこの問題に日々悶々としていた。ある時、いつものようにデリヘルを呼び、デリヘル嬢を部屋で待っている時、ふと思った。「そうだ、素直になろう。」

 その日は素直に「フェラチオも何もいいからオナホールを使ってくれ」と頼んだ。もちろんイチャイチャはする。しかし性器を攻めるときはオナホールにしてもらう。最高だった。何もかもが良かった。気持ちのよい刺戟だけではなく、それ以上の多くのものが得られた。それは「安全」と「平和」と「自由」だ。

 

 まず、オナホールを使うので粘膜の接触が激減した。フェラチオもなければ挿入もない。これだけでかなり性感染症に感染する確率が激減するだろう。間違って妊娠する可能性だってない。なぜならオナホールは妊娠しないからだ。我々はこうして「安全」を手に入れたのだ。

 

 次に、少し前に話題にしたことを思い出してほしい。「お前が濡れないからだ!」「お前が膣内射精障害だからだろ!」という膣内射精失敗にまつわる汚らわしい責任のなすりつけ合いを。。。オナホールを使用することによって責任のなすりつけ合いが無くなった。なぜなら、責任の主体はオナホールが担うことになるからだ!オナホールを使ってイケなかったとしても、「このオナホールだめだね」「今度は他のオナホールを探そう」これで終了だ。

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  我々はこうして「平和」を手に入れたのだ。

 

 最後に、根本的な悩みであった「思ったより全然気持ちよくねぇなぁ」という問題が解消された。確実に気持ちのよい刺戟を求めて孤独にオナホールを利用するという自閉の道でもなく、気持ちのよい刺激を犠牲にして自分を偽りながらフェラチオや挿入をする我慢の道でもなく、オナホールが好きな自分を素直に女の子に曝け出すことで、女の子と一緒に時間を楽しむことと気持の良い刺戟の両方を手に入れることができた。それはただ自分が思う通りの刺戟を得られたというだけではないところに注意してほしい。素直な自分を人前に曝け出すということの気持ち良さもそこにはある。ドイツの哲学者G.W.F.ヘーゲルは『法の哲学』という著書の中で、「自由」の原理的な在り方を〈他在において自己自身のもとにある〉と表現した。人前から逃亡し自閉するのでもなく、人前で我慢して自分を殺すのでもなく、人前で自分自身であれるということ。つまり女の子の前でオナホールを使うということ。これは「自由」なのだ。「思ったより全然気持ちよくねぇなぁ」というのは、不自由であることの叫びであったのだ。

 

 風俗嬢にオナホールを持たせたら、素晴らしい世界が広がっていた。そこには「安全」と「平和」と「自由」があった。

 

 

 

 

法の哲学〈1〉 (中公クラシックス)

法の哲学〈1〉 (中公クラシックス)

 

 

 

法の哲学〈2〉 (中公クラシックス)

法の哲学〈2〉 (中公クラシックス)